長すぎる箸 | 安田貴広のDARADAWRITE

安田貴広のDARADAWRITE

ロックバンドAo(アオ)のVo.ヤスダが日々思ったことを書くかもしれないし、全く書かないかもしれない。

仏教にはこんな話があるそうだ。

天国でも地獄でも、食事をする時には必ず箸を使わなければならないらしい。
しかし、どちらの世界の箸も、恐ろしく長くそして重いのだ。自分の食べたいものを自分の口に運ぶことが難しいほどに。

地獄の住人は我先にと食べ物を奪い合うのだが、箸の長さと重さゆえに結局食べ物を口に運ぶことができない。それゆえに誰もが痩せこけてしまっている。
一方天国の住人は同じ箸を使っているにも関わらず、それぞれがお互いに相手の食べたいものを箸で口に運んであげるのだという。

なんとも奇妙な話ではあるが、この話からわかることは、天国の住人は助け合うことを当たり前だと思っているということ。さらにはそのことに喜びを感じているのだということがよくわかる。この関係性は、自分が他者に何かを〝してもらう〟ことに対して常に感謝していられる人間同士でないと成立しない。

人間は、誰かに何かを〝してあげた〟ことに執着する。そして〝してもらった〟ことは驚くほど忘れてしまう。僕ももちろん例外ではなく、誰かに〝してもらった〟ことは忘れがちなのに〝してあげた〟ことだけはたくさん覚えているような気がする。最近特に、それを思い返して反省している。

天国の住人はなぜ天国に行けたのか。それはやはり〝してあげた〟ことではなく〝してもらった〟ことをしっかり覚えていて、お互いに感謝しながら生きることができる人達だからだろう。そういった人間は、まず悪行を働かないだろうから。

感謝する気持ちは忘れがちだ。気をつけなければならない。
しかし何より気をつけなければならない大切なことがある。それは、自分が〝してあげた〟ことを相手が忘れていたとしても、
「あんなに○○してあげたのに!」
と感じて怒ることだけは、絶対にしてはしてはいけないということ。
その感情を誰か一人が持つと、例えが悪いかもしれないが、まるでたった一つのミカンが腐っているばかりに周りのミカン全てが腐っていくような強烈な伝播力で広がっていく。

「あのとき奢ってやったのに!」
「落ち込んでるときに慰めてやったのに!」
「熱出したときに看病してやったのに!」

例えそんな風に思うことがあっても、その不満が相手に伝わってしまうと良くない。それ以降は感謝の言葉を言ってくれるようになるかもしれないが、お互いの関係がギクシャクしてしまうからだ。相手に
「お礼を言わないと気分を悪くされる」
という理由でお礼を言われて、何が嬉しいものか。
感謝の言葉を述べない人がいるとしても、その人は強制的にではなく、自分の力で〝してもらった〟ことに気づくほかないのだ。

あまりにも理想論すぎて自分でも実践できる自信が無いのだけれど、これからもおそらくそこそこ長い間生きていくであろう僕の人生に向けて、この言葉を戒めとしてここに書いておく。

「してあげたことは忘れろ」

それでは皆様ごきげんよう。