今考えると僕の父は昔から、非常に反体制的であり、権威主義を全力で否定する人間だったのだなと思う。
幼い頃は気づかなかったし、気づいていたとしてもたぶん言語化出来なかったが、たぶんそうなのだ。
父は筋金入りの左翼思想を持っており、与党と、資本家と、権威と、常に戦いを挑む側の視点に立つ人間であった。
そして、自分の中に謎のルールを定める人間であった。
僕はどちらかというと完全に母親の性格を受け継いでおり、何事に対してもドライで超合理主義者。
特に何に熱中するでもなく学生時代を過ごし、オーディオマニアである父がなぜかレコードプレイヤーの上をリモコンの定位置と決めていることをよく母と二人でからかったものである。
「リモコンって、遠くからプレイヤーを再生するのに使う物でしょ?なんでプレイヤーの上に置いてんの?笑」
と。
なので自分は父とは全く違う人間なのだと思って過ごしてきたのだが、最近気づいたことがある。
それは、父の信念である、
〝何事も、自分の頭で考えて決める〟
とか
〝物の価値は人に左右されずに自分で決める〟
ことを、僕も非常に大切にしているということだ。
気づいたきっかけは、僕はいわゆるビンテージと呼ばれるギターの良さが全く理解出来なかったとことだ。
ビンテージギターは、ギターとして不完全な形や作りの物が多くあるのだが、それは今でもギタリストには大人気である。
例えばちょっと弾いただけでチューニングが狂ってしまうギターでも、「それがロマンなんだ!」と、一点の曇りも無い目で言い切るギタリストは多数存在する。
もちろんそういう人の事をバカにしたりするつもりは毛頭ない。
そういう人はミュージシャンに限らずあらゆる世界に存在するのだけれど、僕にはそこに〝ロマン〟を感じることができないだけである。
チューニングは、狂わないほうがいい。いいに決まってる。
古いギターならではの味わい深い音があるのかもしれないが、俺には実のところその差がよくわからない。俺によくわからないものは、きっとリスナーにはもっとよくわからないはずである。
じゃあ、チューニングが狂わないほうがいい。
けれど僕の友人にも何人かそういうタイプの人がいて、彼らと話していると、それはそれで心地が良い。羨ましいと思うことも多数である。
彼らもまた、自分の価値観を自分自身で決めているからであろう。本当に自分の価値観に自信を持っている人は、異なる価値観の持ち主に対して寛容である。
「安田はそうだろうね笑 俺は違うけど。」と。
だが僕は、古き良きリーバイス501を履くことよりもストレッチの効いたユニクロのデニムの快適さが大事だし、旧車と呼ばれる古くてでかい昔の車よりも燃費の良い現代のコンパクトカーに乗る方がいいし、腕時計は単に時間を見るためのものだから時間が見れてスタイリッシュであればそれでいいし、なんならiPhoneがあるから腕時計は別に必要ない。
元々のドライさ、合理主義に加え、父の〝物の価値は自分で決める〟という思想が僕の中に根強く存在する。
以前言ったことがあるが、僕はブランドのロゴやマークが付いているアイテムを身につけることに非常に抵抗がある。
それは、「そのブランドの物を着て満足(安心)するのはオシャレではなく武装だろう」と思ってしまうからである。
しかし前にも書いたが、ブランドの名前が書いていようが、そのブランド独特のチェック柄が入っていようが、それを自分の頭で判断して、これはオシャレだと決定している人はたくさんいると思う。
つまり僕はここにきて、逆に自意識が過剰になってきており、なんでも過敏に反応しすぎているのだという自覚もある。
しかし、だからといって人間、そんな自分をなかなか止められるものではないようだ。
僕は今シーズンまでに、今まで使っていた高級ブランドアイテムを(ほぼ)全て売り払った。
どう考えても、それよりも安い品の方がオシャレだと感じたからだし、高級品と比べて作りが悪いものもあまり存在しなかったからだ。
そして有名何某のブランド物だけを見にまとい、自らがコーディネートを考えるという思考を放棄している人がたくさんいる気がして、「俺は一緒にされたくない!」という自意識が発生した感もある。
なんか、どっかで見たことあんだよなぁ。あの組み合わせ。
そりゃそうか。全部同じブランドだもんな。そりゃその店の人がやってたやつをそのまま着てる感じになるわ。
最近はいろいろ客観視できるようになってきたのか、このブログのウザさにも自覚がある。
正直多くの人にとって、自分や他人が何を着ていてもそれは「どうでもいい」ものなのだ。
我ながら、機能性の追求と流行の追っかけ方に矛盾があるし。
徹底的に最先端やるか、機能性重視してユニクロのスポーツウェアしか着ないかどっちかにはできねぇのかと。
そんなことに労力を割くのは無駄だし、もっとやるべきことや考えるべきことがたくさんある。
僕もそういう風に思えたらどんなに良かっただろうか…。
「バカなこと言ってないでいいから曲でも書けよ」
そんな声が聞こえてくる気がする。
まぁそれを言ってしまうと書くことが無いので、こうして書いている。
「みんなお前の自分語りにそんなに興味ねぇよ」
そんな声が聞こえてくる気がする。
まぁそれを言ってしまうと書くことが無いので、こうして書いている。
「そうやって何回も言い訳がましくいうのは、そんなことないですよ安田さーん!…って言わせるための誘導だろ?」
そんな声が聞こえてくる気がする。
まぁそれを言ってしまうと書くことが無いので、こうして書いている。
書いているのです!
拗れてきてます!
それではまた!