安田貴広のDARADAWRITE -2ページ目

安田貴広のDARADAWRITE

ロックバンドAo(アオ)のVo.ヤスダが日々思ったことを書くかもしれないし、全く書かないかもしれない。

「あの頃は良かった」という大人が沢山いる。いや、厳密に調べた訳ではないが、言い方は違えど年配の方から聞く話には、よく似た趣旨の感想が混じっていることが多いと感じる。
私は、自分はそういう風にはなりたくないなと日々思っている。
それを言ってしまうと、自分が時代の流れに屈したことを認めているような気がしてしまうからだ。

「いやー音楽業界は不況だからさー」的な言葉は、ミュージシャンやレコード会社の人間からよく聞く言葉になってしまった。私も言ってしまう事があるこの言葉だが、こういうことも、なるべく言わないようにしたいのだ。
理由はもちろん、上記のものと一緒だ。
私が職業として音楽を始めてから10数年が経つが、その間にも音楽を取り巻く環境は日々変化し続けている。
その一例として、例えば以下のような事が挙げられる。

①ネットが普及した→誰でも何かを発信する事が出来るようになった→有名人のプライベートがベールに包まれなくなった→アイドルやアーティストとファンの距離が近くなった

②ネットが普及した→音楽がyoutubeやダウンロード、コピー等で手に入れやすくなった→CDが売れなくなった

③PCのスペックが上がり、低価格になった→昔は数千万円かかっていた音楽のレコーディングが、ともすれば自宅でできるようになった→音楽を作る人間の絶対数が増えた→競争率が高くなった→CDが売れなくなったことと相まって、音楽制作にかかる予算が大幅に下がり、自分が勝ち残る確率も減った

などなど、挙げればキリがないのだが、それを嘆いて何か得することがあるのかと自問自答した結果、得することは何も無いという結論に至った。

前回のブログで書いたことと若干被るのだが、私は「金を稼ぎたい」と思って音楽を始めたわけではない。金を貰えないのにやっていたことで、たまたま稼げるようになっただけである。
今回最初に触れた「あの頃は良かった人達」は、総じて現在のシステムの中で音楽的に成功(何をもって成功とするかの問題はあるが)してはいない。
それは何故だろうかと考えた。
おそらく、その人達が成功していないのは、決して才能が無いからではないと思う。
口を開けば「あの頃は〜」と言うということは、現在のシステムの中でどう戦うかを考えることを放棄しているに等しいからではないのか。
もちろん、私が考える〝成功〟をしていない人を見下したり、バカにしたりはしていない。人はそれぞれであり、音楽とは本来、楽しいからやるものである。
職業音楽家でなければいくら言ってもいい言葉だと思う。
ただ、私が「あの頃は〜」と言いたくないのは、私は職業音楽家であり、未だ成長の途中でありたいと願っているからなのだと思う。
音楽は、私にとっての信仰である。
現在の音楽シーンの中でも聴いて涙を流せるような音楽を見出せる自分で在りたい。
できれば今後もずっと、私はそう在りたい。
現在仕事とリハビリを兼ねた東京への小滞在に向けて飛行機に乗っている。
普段は飛行機に乗る場合、必ず機内で暇にならない為の動画なり書物なりを用意するのだが、今回はお気に入りのインナーイヤー型ヘッドホンのみの持参。というのも、私は普段音楽を聴くという習慣がめっきり少なくなっており、それは非常に良くないことだと思っていたからだ。
なぜ音楽を聴くことが少なくなっているのか。理由はいくつか思い当たるが、最も大きなものは、自分が音楽的に逆境に差し掛かっているからだろう。
思うように歌えないだけではない。正直に言うと、私は最近まで音楽を作ることに楽しさを覚えられなくなっていた。何をするのも億劫で、ひたすら眠り続ける日々がしばらく続いていた。一日に19時間寝たりもしていた。
「作ったところで、それが何になるんだ。」
「何のために作ってるのか分からなくなってきた。」
などといったセリフを友人や事務所の社長に吐いたりもしていた。
幸いなことに、現在はそれが改善されつつある。
睡眠時間も元のショートスリーパー状態に戻ってきた。
寛容な社長は、「今は一度音楽から離れたいと思う時期なんじゃない?長くやってるんだから、そういうことがあってもおかしくないよ。」などとも言ってくれて、私の罪悪感を大いに軽減してくれた。
そのおかげもあったのか、今回は移動中音楽を聴き続けようかなと思えるほどには前向きになれている。

少し前の話になるが、私が大変ショックを受けたエピソードがあった。
我々Aoと同じく札幌を拠点として活動していたバンドが解散したのだが、その際のメンバーの声明に私は大きく動揺した。
彼の文章の要点をまとめると以下のようになる。

・自分達の音楽を聴く人間はセンスがいい
・つまり世の中の大多数はバカだ
・今日本で流行っている音楽を良いとは思えない
・バンドを解散して次の仕事では莫大な金を稼ぐ
・以上の内容を発表したあとも、まだライブスケジュールが何本もある


元々私が音楽を始めたのは、好きなバンドがいたからだ。彼らのように音楽を演奏したくてギターが弾けるようになりたかった。
高校時代、自分で音楽を作るとは夢にも思わなかった私は、コピーバンドでギターやベースを弾いていた。
性格的にサラリーマンを続けられず、結果的に逃げ込んだ形になった音楽の世界では、初めて自分で楽曲を作るということが何より楽しかったし、それを他人が聴いてくれることも嬉しかった。少なくとも、「よーし!これで金稼ごう!」と思ったことは一度も無かった。
音楽をやっている人間なら誰でも分かると思うが、金を稼ぎたいのならば他にもっと効率のよいやり方がいくらでもある。
ミュージシャンがお金の話をするのをファンは好ましく思わないという前提がありつつ、それでもお金が入らないと音楽活動を続けていくのは難しいというのも事実である。しかしこの件はその問題とは種類が違う。
私は人付き合いが決して良い方ではないし、むしろ札幌の音楽業界の中では嫌われ者である自覚もある。
しかしそれでも同じ北海道という地で頑張っているミュージシャンに対しては、親近感や共闘者意識を少なからず持っている。
そんな中の一人が最後に捨て台詞のように金の話をして辞めていくことは、私を大きく傷つけた。もちろん彼も傷ついていたのだということは理解できる。そして捨て台詞的な意味合いではなかったのかもしれないが、僕はそう感じた。
思ったように自分の音楽が受け入れられなかったとき、ミュージシャンは必ず葛藤するものだ。自分がやりたいことと世間で評価されることに差異を感じる場合、その責任の所在や改善方法を模索するものだ。しかし私には未だに、努力と迎合の違いが分からない。
私は色々な音楽を作ってきて、評価されたものもされなかったものもあるが、「本当は作りたくなかった」とか思いながら作った曲は一曲も無い。自分の中に無かった発想で、今現在評価されていて、なおかつ自分も好きだと思えるマテリアルは、探せばいくらでもあると思う。
それを参考にしてパクリになってしまうようなら、それはそのミュージシャンの力量不足でしかないと思う。そこにオリジナリティーを落とし込む能力が足りないだけだ。
自分もいつ挫折してしまうか、正直分からないところはある。だが、世の中を批判しながら去っていくことだけはすまいと、心に誓っている。
久しぶりに自分の思考を言語化しようと思い、iPhoneを手に取った。LINEブログのアプリを見つけようと思ったが、どこにあるかわからない。SNSと書かれたフォルダを開くが出てこない。ホーム画面に戻ると、私にとって一番目立つ場所にそれを見つけた。
普段から頻繁に使用するアプリであればこんなことは無い。習慣というものはと恐ろしいなと思った。
私が患っている歌唱時機能性発声障害というものは、正に習慣と大きく関係している。人間は何か一つの運動を行うことで、それに伴い使用される脳の神経回路に電気が通り、どんどん回路が強化されるのだという。
泳ぐ時に使う回路。絵を描く時に使う回路。そして歌を歌う時に使う回路。
私の場合はもちろん歌唱回路(便宜上命名)を頻繁に使っていたわけだが、あまりに使用頻度が高いとその回路にバグが生じるらしい。その行動の複雑さにもよるのだが、そのバグのせいで今まで当たり前に出来ていたことができなくなるのだ。私が様々な医療機関やリハビリ施設などで頻繁に聞いた例は、ピッチャーが急にボールを投げられなくなるとか、フィギュアスケーターがジャンプを飛べなくなるといったものだった。
イップスという症状である。歌唱時機能性発声障害は厳密に言えばイップスとは少し異なるものであるらしいのだが、治療方法はほぼ変わらない。今まで使用していた脳の回路とは別の場所に、全く新しい回路を作り上げるというものである。
それがなかなか難しく、果ては「歌えないのはなんらかのトラウマが原因かもしれない」とカウンセラーに言われたりもしている。催眠をかけてもらったり(私はかかりづらいらしいが)、ヨガの呼吸法を練習したり、過去の辛かったことを話したりもしているが、今のところ確実に手応えのあるものは無い。ただ、歌うときに恐怖で体が固まってしまったり腰が引けてしまったりするというのは、歌うことそれ自体がある種のトラウマになっているのだということだけは理解できる。
リハビリの先生が繰り返し私に言う言葉がある。
「安田さん、あなたは悪くないんです。」
私自身にはなんの落ち度も無いということを、彼は私に言い続けてくれる。
それは私にとって、何よりの救いだ。
おかげさまで、自分に何が起きて声が出なくなっているのかを理屈では理解できる程度には、私は治療から逃げずにやってこれている。
上咽頭炎と声帯結節を患いながら、それをなんとかテクニックでごまかしながら歌うという行為も、機能性発声障害をより促進させてしまったのだろう。
ところで最近は、カラオケによく通っている。長い音楽人生の中で、私がカラオケに行くという習慣は激減していた。趣味で歌うということに楽しさを覚えられなくなっていったからだった。しかし最近は友人や数少ないミュージシャン仲間と頻繁にカラオケに行っている。
なぜかというと、自分が歌えなくなっている姿を人に見てもらおうと思ったからである。上手く歌えなくなった私でも、友人は変わらずに愛してくれるのだと実感したかったのだ。良いことかどうかは分からないが、これが私の新しい習慣である。
私は中学生時代にいじめを受けていた。小学生時代は幼馴染の兄に何度か無理矢理犯され、それを誰にも言えなかった。大人になってからはバイクに乗っていて轢き逃げにあった。
私としては中学時代のいじめが一番辛い経験だと思っているのだが、カウンセラーに言わせると、他の二つの方が深刻なようだ。彼女によく聞かれることは、「その時の事を考えると、体に何か変化はありますか?」である。「特に何もありません。」と私は答える。しかしそれは異常なことらしい。
カウンセリングルームで目を閉じて過去の辛い体験を思い出すと、普通の人は背筋が冷たくなったり、胸が痛くなったり、肩に力が入ったりと様々な変化が起こるらしい。しかし私の場合、それらを麻痺させて無理矢理適応させているというのが彼女の見解である。
それだと日常生活に問題は無くても、一向にトラウマは解消されないのだと彼女は言う。私があの場所で思うのは、上手くそういった反応を示せずに彼女を困らせてしまうのが申し訳ないということだけだ。
なんにせよ、人とカラオケに行ったり、こんな場所で書かなくてもいいような自分の過去の事をわざわざ書いたりすることは、私にとっては少し癒しになっているきがする。
駄文に付き合わせてしまい申し訳ありません。
私は元気です。
復活ライブ、楽しみにしていてください。
日本語歌唱不安定症、そして歌唱時機能性発声障害のリハビリを始めました。
上咽頭炎の治療も継続中。声帯結節に関してはテクニックでかなり対処できているらしいのですが、これも今のうちに手術しておいたほうが良さそう。
問題は、手術の枠の空きが夏の間中全て埋まってしまっているということ。有名な病院だから仕方ないか。
そして、どうせなら全て完璧に治したいところですが、リハビリに関してもやはりすぐに結果が出るということは無さそうです。焦ります。精神に良くない。
昨日ブログを書こうとして付けていたタイトルが「いなくなった僕へ」でした。
…暗いよ!
いかんいかん。気づけば気持ちが暗くなってしまいます。すぐに消して、購入したてのゲーム、ワンダと巨像を楽しみました。
正直自分が歌声を失って(まぁ症状は軽いので失ったわけではないのだけれど)、ここまで喪失感を感じるとは思いませんでした。
自分には作詞作曲編曲と、幸いにもできることが多いので、もし歌一本で活動している人がこの状態になったら、その喪失感たるや僕には想像もつきません。
とはいえリハビリの先生が名言してくれた、「必ず治る」という言葉を信じてやるしかない。
俺、歌うの、こんなに好きだったんだなぁ。
新曲も気づけば20曲を超えており、どの曲を次回のアルバムに収録しようかという話になる段階です。
人前にも出ることが無くなったので、体重が増えたり急速に老けたりしないように気をつけなければ笑

さて、肝心のリハビリですが、「こんなに簡単なことができないのか…」とショックを受けてしまいました。
しかし先生がとてもポシディブというかなんというか、すごく納得できることを言っていただいて本当に励みになっています。

例えば
「安田さん、チャレンジして、できなかったままでやめちゃダメです。どんなに難易度を下げても、必ず出来てから終わりましょう!これまで安田さんがやってきたことは、出来ないことを繰り返し練習して、やっぱり出来なかったという記憶を脳にインプットするという作業の繰り返しです。それではダメです。歌うこと=失敗体験という印象が残るだけです。」
なんていう、とても身に覚えのありすぎることを仰ってくださいました。
歌うことに対して、歌詞を伝えることに対して真面目な人ほどこの症状が出やすいのだとか。
うーん。そんなに真面目だった覚えは無いのですが、自分の思想や自分の作った物語を人に押し付けるように生きてきたところはあるかもしれないので、それが原因なのかな。
…なんとなく言葉のチョイスが自罰的ですね笑
良くない。

とにかく、何が原因か分からなくて途方に暮れていた日々はようやく終わりを告げました。
この症状に陥ったアーティストも、調べるとたくさん出てきましたが、本当にみんな良くなってる。
なので僕も、あとは良くなるだけでしょう。
頑張れば。

これからも僕は、こうやって弱っているところを隠せずに皆様に吐露してしまうことでしょう。
様々なシンガーの方々がいますが、この症状を公表せずに、人から下手くそだ下手くそだと言われながら活動を続けている方もたくさんいるのだと思います。
僕にはそれはできませんでした。

締めの言葉が、見つからない。
でもあれだ。4人でスタジオに入って新曲を仕上げていくのはやっぱりとても楽しいです。
これが楽しいと思えていれば、まだ大丈夫な気がします。
また、何か書きます。それでは。
先日、また新しい病院(もはやセブンスオピニオンです)に行ってきました。

いろんな医者がいろんなことを言うので訳がわからないというのが正直なところですが、おそらく僕の歌声の不調は3つの要因によって成り立っています。

①慢性上咽頭炎
②声帯結節
③日本語歌唱不安定症

慢性上咽頭炎に関しては治療は継続中ですが、症状としてはかなり良くなっています。
声帯結節については重度ではないものの、③の日本語歌唱不安定症のリハビリをしなければならないので、そのためには結節を取る手術をして声帯のコンディションを万全の状態にすることが一番なのかなと考えています。
札幌の病院は4つ行きましたが、そこではいずれも「声帯結節は無い」と言われました。
しかし東京の歌唱専門の病院は3つ行きましたが、そこではいずれも声帯結節があると診断されました。
当たり前のことですが、札幌よりも東京の方が、声優、シンガー、劇団員などの声を使う仕事をしている人は多いはずなので、僕はその点では東京の医者の言うことを信用しようと思います。

ただ、声帯結節の手術は東京の病院では夏以降まで予定が埋まっているらしく(歌を生業としている人が札幌より圧倒的に多いからでしょう)、しかも東京で手術をするならばこれから手術の前に何度か東京まで行って受診しなければならないとのこと。
僕の日々の仕事もある中で上京通院をすることはやはり大変です。
そして遅々として進まないのが非常に不安で、ストレスになっています。

札幌でもできる手術のはずなので、それをどうしようかももう少し考えてみようと思います。

僕らを応援してくれている皆さま、心配かけてすみません。
メンバーのみんな、事務所社長のテージさん、迷惑をかけて本当に申し訳ない。

ただ一つ、日本語歌唱不安定症について医師に明言されました。

「僕はこういう患者を80人以上見てきたけど、必ず治ります。」

なるべく早く治します。
皆さん、
「焦らずゆっくり治療してください」
とか、
「いつまでも待ってます」
という言葉をかけていただいて本当にありがとう。
助けられています。
でも、早く治さないと。
治さないと、僕が耐えられないんです。
こんなに歌えないのは、俺じゃない。

暗いブログになってしまって、申し訳ない。
負けません。


お久しぶり。安田です。
突然ですが、あなたはどんなことにやりがいを感じますか?
誰かから感謝されること?
人と競い合って一番を目指すこと?
人知れず練習を重ねて、自分の技術を磨くこと?

今考えてみると、高校時代の僕は、自分がどんな人間か全く理解していなかった。
そしてそんなことを深く考えることも無いまま、僕は某大学の福祉学部に入学した。
僕は誰かから感謝される仕事をしている人に憧れがあったし、自分は誰かのために奉仕することにやりがいを感じる人間なのだと、なぜか思い込んでいた。
今思えば、浅い考えではあったのだけれど、その当時は本当の自分の姿を知るための判断材料が不足していたのかもしれない。

僕は今、音楽の専門学校で講師をしている。
科目は『セルフプロデュース』。
授業内容は、ざっくり言うと〝言語化〟と〝客観視〟の能力を磨くこと。
この授業内容は僕が設定したものなのだけれど、生徒達とセッションしていると、僕が改めて気づかされることもたくさんあって、とても面白い。

例えば今日は生徒の皆さんに、中学高校時代に熱中したことをまずは箇条書きしてもらい、さらに

①何故頑張れたのか
②続けることができた理由
③続けるうちにぶつかった問題や課題
④そのときにとった対処法
⑤なぜその対処法をとったのか
⑥その結果学んだこと

を掘り下げてもらった。
そしてここから『自分がどんなことにやりがいを感じるか』を浮き彫りにするという作業をした。
生徒と一緒にその子のやりがいはなんなのかを分析してみると、どの子もみんな音楽に携わる仕事に就きたいと思っているのはたしかなのだけれど、やりがいに関しては、実に多種多様であった。

責任のあるポジションを任されると燃えるという子。
チームプレイが好きで、みんなで協力して一つの事に取り組むことが好きな子。
自分に常に課題を出して、それを達成し続けるのが快感だと話す子などなど。

僕のサポート無しでそこまでの自己分析に到達できた生徒はいなかったけれど、それが当たり前だと思う。俺だってあの頃は、自分のことを勘違いしたまま大学を選んだんだから。むしろ当時の俺よりずっと優秀だよ。

僕は、他人に奉仕することよりも、自分の作る作品を通じて、世界に自分の居場所を作ることに快感を見出す人間でした。
かといって、負けず嫌いでもなければ大きな夢があるわけでもない、良くも悪くも無欲な人間でした。
そんな僕がこれからどうやっていきていけばいいか、未だに模索中なんだよなぁ。
性格が突然変わるには、流石に年を重ねすぎているしね。

僕の授業が、少しでも彼らの人生の役に立てればいいなぁ。
人生においてなにかを始めるのに、遅すぎるということは無いというけれど、早いに越したことはきっと、無いはずなんだ。
みんなが俺のサポート無しでも、客観的に自分を見て、それを言語化できる人に育ちますように。
それができたら上手くいくことが、世の中には溢れているんだ。

そんな想いを込めて、これからも講義を続けていこうと思います。

そして明日は頭を切り替えて、Aoのメンバーで集まっての新曲作り。
とにかく作りまくっていますよ。
待っててね。
少し休憩しようと、なんとなく手に取った携帯でニュースサイトを開いて、「1000人打ち切りか 戸惑う受給者」のいう見出しを発見した。反射的に国民年金のことかと思い、そのページを開く。
するとそれは、障害基礎年金についてのニュースだった。
なーんだ。よかった。
すぐさまそのページを閉じた直後に、自分がとても非情な人間のように思えて自己嫌悪に陥った。
国民年金の受給権が得られなくなるとしたら、僕はとても困る。僕は個人事業主で、厚生年金に加入する権利が無い。なのでとても高額な国民年金を支払っている。他人事ではない。
しかし、障害基礎年金という単語をみた瞬間に、「あ、これは俺には関係ないやつだ」と思って興味を失った自分が、人として正しい姿だとはとても思えない。

人間の本性というものは、誰も見ていないところで瞬時に判断するときに現れるものなのだろう。
誰も見ていないが故に、「優しい人だと思われたい」という打算が働かなかったあの瞬間、僕が障害基礎年金の対象者の危機には全く関心がない人間だということが判明した。
ショックだった。

しかし一方で、世の中で毎日のように起こっている悲しい出来事や残酷な出来事全てに感情移入して生きるということが、果たして人として正解なのかと考える。
僕の回答は、否である。
僕の楽曲の中に

人類の平和を願うための歌など
結局誰も救えないってことにやっと気づいた
だったらせめて君の半径3キロに向けて歌ってみたいよ

という歌詞があるが、これが今でも僕の本心である。
要はフィルタリングの範囲設定なのだ。
人に出来ることには限界があって、自分の限界を見極めることが出来る人間が、結果として世界に対する貢献を果たせるのだと思う。

…とは言いつつも、やはり先ほどの自分の残酷性には未だに戦慄を覚えるなぁ。
メディアには、毎日人が死んだニュースが流れている。
それをただの出来事として聞き流しながらコーラを飲んで、結果としてコーラの美味しさ以外の記憶は次の瞬間に消えている。それが僕だ。
自分の家族が死んだ人にとっては、その出来事が人生の転機になったり、価値観の大きな転換点になったりするのだ。
どう考えても、その後の人生でコーラを飲むことを一切禁じられる方が何億倍もマシだろう。比べることすら不謹慎に思える。

昔、知人がこんなことを言っていた。

「母が病死したとき、なぜこのニュースがテレビやラジオから流れてこないのかと不思議だった。」

あの言葉がとても印象的だったのは、僕も自分の母が死んだならば似たようなことを思うかもしれないと思ったからだろう。

街中で、ネット上で、あらゆる署名活動が行われている。

「○○を救おう」
「○○を許すな」
「○○に抗議しよう」

あれって、署名を集めてるのはどんな立場の人なのだろう。
〝他人事〟を、「いやいや実はあなたにも関係がある事なんですよ」と人を説得できるって、すごいことだ。
僕は、インコは実は知能が人間の2歳児くらいあるんだということを世界中の人が知るべきだと思っているけど、それでも別にこれといって何もしないんです。
インコは頭がいい。ということは、愛情を持たれないと「悲しい」とか「寂しい」とか思ってしまえるんだよ。
これがあまり知られてないせいで、どれほどの数の鳥たちが悲しみに生きているだろうか。
でも、それでも僕は何もしないんです。
フィルタリングなのかな。
とても、嫌だなぁ。

道だって答えます
親切な人間です
でも遠くで人が
死んでも気にしないです
(syrup16g / ex.人間)
マザー・テレサは「Peace begins with a smile.(平和は微笑みから始まる。)」と言ったそうだ。
笑顔は自分自身だけでなく、周りの人にも良い影響を与えるという。
インディアンの諺にも、「君が笑えばみんなも笑う。みんなが笑えば君も笑う。」というものがあるらしい。

どうやら世界中に、似たような言葉があるし、僕もこれまで生きてきた中で、笑顔の伝染というものを経験したことがある気がする。
だからたぶん、真実なのだろう。部分的には。

でも僕は、どんな悲しいときも自分から進んで笑顔でいようとは思わない。
辛い時や悲しい時も笑顔でいるということは、仮面を付けるということと同じに思える。
しかも、物質ではない、精神的な意味での仮面である。
この、「精神的な意味での」というところがポイント。

人間は、自分の表層意識を騙す能力がある。深層意識の中では傷ついていても、笑顔を仮面をつけていると、表層意識を騙せてしまうのだ。
それが効果的な時は確かにある。しかし、必ずしも、いいことばかりではないはずだ。
笑顔でいることによって、自分の精神状態が危機的な状況に陥っていることに気付けないことがある。
僕は今まで多くの「笑顔は幸運を呼ぶ」論者に出会ってきた。
その中には、自分の本当の気持ちが分からなくなってしまって、突然激情が溢れ出すという人が少なからずいた。

そういえば、僕が商社マンをやっていたときの先輩の話。
いつも笑顔でハキハキと話す、人当たりのいい先輩だった。
ある日、彼に連れられて新人である僕と僕の同期数名とで飲みに行った時も、彼は終始笑顔だった。
しかし、どこかおかしい。
僕や同期は、先輩から「会社や今の部署に対する不満があるなら今は腹を割って話してもいい」と言われて、それぞれが持つ疑問点などを話した。
先輩は「うんうん。」とか「分かる分かる。」と、同調して聞いてくれていた。
しかし、どこかおかしい。
その違和感を言葉にするとしたら、彼はどこか、
機械のようだった。
同調してくれている。笑顔で聞いてくれている。
しかし、次第にその笑顔も、心ここに在らずといった感じになってきた。
「うんうん。」「わかるわかる。」
…それに続く言葉が出てこない。
そして、その場は盛り上がることも無く、先輩は突然「ドンッ!」とテーブルを叩き、
「ごめん。俺人と会う約束あるから、あとはみんなで楽しんで。」
と言って席を立った。
テーブルを叩く勢いのあまりの強さに、僕は先輩が何かに怒ったのだと思った。しかし、顔には笑顔が張り付いたままである。
その不自然さに顔を見合わせる僕らを残し、彼は立ち去っていった。
彼が内心、何を思っていたのかは未だにわからないが、翌日、彼は仕事を休んだ。
彼がテーブルを叩いたあのとき。あのときの先輩は間違いなく何らかの感情が爆発寸前だったという確信が、僕にはあった。

後日欠勤の理由を聞くと、
「あぁ、あのあと家帰って飲み直したら、ヤバいくらいの二日酔いになっちゃって!」
だそうだ。もちろん笑顔は絶やさない。

あれ…?人と会う約束があったから帰ったんじゃ…?

追求するのも良くないと思い、その話はそれっきりである。

そのときまだ新人だった僕らは知らなかったのだけれど、どうやらその時期先輩は成績が悪く、上司からかなりの圧力をかけられていたそうだ。

要領を得ない話で申し訳ないが、そのときの事実のみを言おう。
先輩の笑顔は誰にも伝播しなかった。
誰も、彼の笑顔によって笑顔になることはなかったのである。
そしてもちろんその笑顔が、先輩はもちろん、僕らを始めとした周りの人間に幸せを運んでくることはなかった。

もしかして先輩は、本当は僕らが自分に話を振ってくることを望んでいたのだろうか。そして自分の愚痴を言いたかったのだろうか?
それとも何か、自尊心を満たすための言葉を欲しがっていたのだろうか。
僕らが無意識に彼を傷つけるようなことを言ったのだろうか?

今となっては分からない。

彼の笑顔の仮面の下に、何が隠れていたのかも、分からずじまいだ。

「笑顔は幸運を呼ぶ」は一部において真実だろう。
でもあのとき、僕らも、そしておそらく先輩自身も、笑顔の仮面の奥にある本当の気持ちは分かっていなかったのだと思う。

あなたは今、幸せですか?
無理して笑っていませんか?
無理して笑わないといけない状況にいるなら、せめてそんな無理をしなくても側にいてくれる誰かが側にいますように。
そして、その人の前では仮面を外せますように。

僕は、あなたの味方です。
だから、こんな僕の味方でいてほしい。
こんな打算的なことを考える僕ですが、
それでも僕は、あなたの味方です。

良い一日を。
今考えると僕の父は昔から、非常に反体制的であり、権威主義を全力で否定する人間だったのだなと思う。
幼い頃は気づかなかったし、気づいていたとしてもたぶん言語化出来なかったが、たぶんそうなのだ。
父は筋金入りの左翼思想を持っており、与党と、資本家と、権威と、常に戦いを挑む側の視点に立つ人間であった。
そして、自分の中に謎のルールを定める人間であった。
僕はどちらかというと完全に母親の性格を受け継いでおり、何事に対してもドライで超合理主義者。
特に何に熱中するでもなく学生時代を過ごし、オーディオマニアである父がなぜかレコードプレイヤーの上をリモコンの定位置と決めていることをよく母と二人でからかったものである。
「リモコンって、遠くからプレイヤーを再生するのに使う物でしょ?なんでプレイヤーの上に置いてんの?笑」
と。

なので自分は父とは全く違う人間なのだと思って過ごしてきたのだが、最近気づいたことがある。
それは、父の信念である、
〝何事も、自分の頭で考えて決める〟
とか
〝物の価値は人に左右されずに自分で決める〟
ことを、僕も非常に大切にしているということだ。

気づいたきっかけは、僕はいわゆるビンテージと呼ばれるギターの良さが全く理解出来なかったとことだ。
ビンテージギターは、ギターとして不完全な形や作りの物が多くあるのだが、それは今でもギタリストには大人気である。
例えばちょっと弾いただけでチューニングが狂ってしまうギターでも、「それがロマンなんだ!」と、一点の曇りも無い目で言い切るギタリストは多数存在する。
もちろんそういう人の事をバカにしたりするつもりは毛頭ない。
そういう人はミュージシャンに限らずあらゆる世界に存在するのだけれど、僕にはそこに〝ロマン〟を感じることができないだけである。
チューニングは、狂わないほうがいい。いいに決まってる。
古いギターならではの味わい深い音があるのかもしれないが、俺には実のところその差がよくわからない。俺によくわからないものは、きっとリスナーにはもっとよくわからないはずである。
じゃあ、チューニングが狂わないほうがいい。

けれど僕の友人にも何人かそういうタイプの人がいて、彼らと話していると、それはそれで心地が良い。羨ましいと思うことも多数である。

彼らもまた、自分の価値観を自分自身で決めているからであろう。本当に自分の価値観に自信を持っている人は、異なる価値観の持ち主に対して寛容である。
「安田はそうだろうね笑 俺は違うけど。」と。

だが僕は、古き良きリーバイス501を履くことよりもストレッチの効いたユニクロのデニムの快適さが大事だし、旧車と呼ばれる古くてでかい昔の車よりも燃費の良い現代のコンパクトカーに乗る方がいいし、腕時計は単に時間を見るためのものだから時間が見れてスタイリッシュであればそれでいいし、なんならiPhoneがあるから腕時計は別に必要ない。

元々のドライさ、合理主義に加え、父の〝物の価値は自分で決める〟という思想が僕の中に根強く存在する。

以前言ったことがあるが、僕はブランドのロゴやマークが付いているアイテムを身につけることに非常に抵抗がある。
それは、「そのブランドの物を着て満足(安心)するのはオシャレではなく武装だろう」と思ってしまうからである。
しかし前にも書いたが、ブランドの名前が書いていようが、そのブランド独特のチェック柄が入っていようが、それを自分の頭で判断して、これはオシャレだと決定している人はたくさんいると思う。
つまり僕はここにきて、逆に自意識が過剰になってきており、なんでも過敏に反応しすぎているのだという自覚もある。

しかし、だからといって人間、そんな自分をなかなか止められるものではないようだ。
僕は今シーズンまでに、今まで使っていた高級ブランドアイテムを(ほぼ)全て売り払った。
どう考えても、それよりも安い品の方がオシャレだと感じたからだし、高級品と比べて作りが悪いものもあまり存在しなかったからだ。
そして有名何某のブランド物だけを見にまとい、自らがコーディネートを考えるという思考を放棄している人がたくさんいる気がして、「俺は一緒にされたくない!」という自意識が発生した感もある。
なんか、どっかで見たことあんだよなぁ。あの組み合わせ。
そりゃそうか。全部同じブランドだもんな。そりゃその店の人がやってたやつをそのまま着てる感じになるわ。

最近はいろいろ客観視できるようになってきたのか、このブログのウザさにも自覚がある。
正直多くの人にとって、自分や他人が何を着ていてもそれは「どうでもいい」ものなのだ。
我ながら、機能性の追求と流行の追っかけ方に矛盾があるし。
徹底的に最先端やるか、機能性重視してユニクロのスポーツウェアしか着ないかどっちかにはできねぇのかと。
そんなことに労力を割くのは無駄だし、もっとやるべきことや考えるべきことがたくさんある。

僕もそういう風に思えたらどんなに良かっただろうか…。

「バカなこと言ってないでいいから曲でも書けよ」

そんな声が聞こえてくる気がする。

まぁそれを言ってしまうと書くことが無いので、こうして書いている。

「みんなお前の自分語りにそんなに興味ねぇよ」

そんな声が聞こえてくる気がする。

まぁそれを言ってしまうと書くことが無いので、こうして書いている。

「そうやって何回も言い訳がましくいうのは、そんなことないですよ安田さーん!…って言わせるための誘導だろ?」

そんな声が聞こえてくる気がする。

まぁそれを言ってしまうと書くことが無いので、こうして書いている。

書いているのです!
拗れてきてます!

それではまた!



あなたにとって、この世で一番難しい事はなんですか?

以前にも書いたことがあるかもしれないが、僕は毎日同じ時間に起きて登校したり、同じ場所に出勤することができる人のことを世界で一番尊敬している節がある。
それは僕にとっては何よりも難しいことだからである。
中学時代から不登校になり、大学をなんとか卒業したのちにサラリーマンになったのだが、卒業して初めて就いた仕事のときは、朝目覚めたら自分の意思とは無関係に涙が流れた。
それは就職してからたった半年で始まった現象だった。
その次に勤めた会社では、その仕事が好きだったこともあり起きてすぐ涙を流すというようなことは無くなった。
しかし出社しようとすると腹痛に襲われて遅刻したり、今だから言うけれど、仮病を使って仕事を遅刻したり、最悪休んでしまうということもあった。

「人には向き不向きがある」
「苦手な事がある分、そのぶん得意なことがある」

よく聞く言葉だし、僕も人にそういう言葉をかけたことは多々ある。
僕に当てはめると、「そういうことが苦手な分、僕は音楽を作ることができる」ということになるのだろう。
けれど僕はどうしても未だに、自分は欠陥人間なのだというイメージを払拭できずにいる。
これは思い込みなのか、それともやはり本当に欠陥人間なのか。

僕は、人に天才だと言われるのが好きです。僕の音楽が生きる糧になれていると言われるのがたまらなく嬉しいです。
でも、いくら言われてもどこかで
「いやでも俺、欠陥人間だし、あなたの方がずっとすごいよ…。」
と思ってしまい、どこか後ろめたいし情けない気持ちになる。
「そんな欠陥人間が出来ることってなんだろう」
とか、
「そもそも欠陥人間なんだから生きているべきじゃないのかもしれない」
とか、たまにね。たまーに考えてしまうのです。

でもそんなのきっと、別に珍しい話じゃないんだよな。
誰だってきっと、そんなことを考える夜を過ごしたことがあるはず。

上手に笑えないこと
伝えたい事を言葉にできないこと
どうしても他人に自分を合わせられないこと
自分が傷ついていることに気づけないこと
自分を叱る人に依存してしまって、その結果がいつも悲劇になってしまうこと

例えばだけど、そんな自分に歯がゆさや情けなさを感じて、自分が欠陥人間だと思ってしまう人なんて、世の中にたくさんいます。
少なくとも僕は、そういう人に沢山出会ってきました。
上手に笑えない、とか、どうしても人に合わせられない、ってのは、やっぱり情けない気持ちになりますよね。

僕がサラリーマンの仕事を出来なかったり、学校に行けなかったりするのも、そういういろんな〝上手に出来ないこと〟の一種なのかなぁ。

僕は、人に天才だと言われるのが好きです。僕の音楽が生きる糧になれていると言われるのがたまらなく嬉しいです。
「でも、いくら言われてもどこかで…。」

でも僕は、音楽が作れる。歌は、今は歌えなくなってしまっているけど、必ずまた歌えるようにする。

「でもいくらそう言われてもどこかで…。」…な僕ですが、それでもやはり、作り続けるしかないのだと思います。

皆さまがそれを望んでいてくれたら、なによりです。